January 27, 2008

4年間

いよいよ大学、高校、中学などの受験も大詰めだと思う。
特に大学受験生は、センター試験も終わり、これから志望校の合否がわかり、場合によっては4月から一人暮らしや寮生活を始める人もいるだろう。
今までの「管理された学生生活」から、「自由」で、「自立した」生活が待っている。
 
僕は高校3年生の頃、推薦での大学進学を目指していた。
文科系全科目の評定偏差値は、5段階評価で4.2あったので、志望していた成蹊大学の法学部の基準偏差値4.2を上回っていたため、楽勝で推薦遊学が出来ると思っていた。
しかし、高校1年のときに10日間の停学処分を受けており、恐らくそれが内申書の点数に影響したのだろう。実際推薦入学したのは、評定偏差値4.1の同級生だった。
だから僕は、本当の意味での受験勉強は、高校3年の6月から始めた。
成蹊大学へのリベンジ受験を目指し、猛勉強してなんとか成蹊以外でも青山学院や日大芸術学部など、6校受験して5校合格することが出来た。
 
今となってはあの時の勉強だけが、役に立っているといっても過言ではない。
国語はもちろん、企画書を書いたり、ドラマや映画の原作を読むのに役立っている。
英語は当時の記憶だけで何とか片言で喋っている。
海外出張やニュースで見る海外の情勢、それにシェイクスピアの演劇を理解するためには世界史が役に立っている。
それと足し算、引き算、割り算、掛け算が出来れば、まあ何とか社長業もこなせている。
 
僕らの若い頃はそれでよかった。いい大学に入れば、いい就職が出来て、終身雇用に守られて退職金で老後が暮らせる・・・。そんな風に思われた時代だったからだ。
ただ、今は違う。いい大学からいい会社に入っても、最後までサバイバルゲームは続いている。
東大を卒業しても、人とのコミュニケーションが苦手な人は、組織や国際社会では絶対に成功しない。
世界の常識をわきまえていなければ、停滞する日本のビジネスマンとしては世界と渡り合うことは出来ない。
英語、中国語、スペイン語が話せなければ、ブロードバンドで世界が繫がった今の地球規模の世の中で、日本が先進国として生き残るためのビジネスは出来ない。
何より国語や日本史、文化など日本という国に対する理解が足りなければ、外国人から見ると、非常に幼い稚拙な印象を与えてしまう。
 
大学に合格した事実は、たとえそれが一流であろうが、それ以下であろうが、もはやその中で何を学んだか、どんな人間形成のための勉強をしてきたかが伴わなければ、グッチやヴィトンのバッグを持っているに過ぎないのだ。
 
ヴィトンのバッグを持っている人を、今の日本では、もはや尊敬はしてくれない。その人の中身が伴わなければ、ヴィトンを持っていることそのものも「恥ずかしいこと」になってしまうからだ。
 
大学に入学した後の4年間で、「サークルのマネージャー」をしていたことや、「スポーツに打ち込んだこと」や、「青春18キップで日本中を巡ったこと」も、次に控えている「就職面接」の場では、中身の伴わない人が持っているヴィトンのバッグ同様「笑われる面接用語」に過ぎない。
世界の中の日本で、これから社会人としてビジネスで生計を立てようと思うときに、国内外問わず、相手がそんなことに興味を示すことなどまずない。
「あなたがどれだけ成長し続ける人物か?」、相手は常にそこに興味を持っている。
 
だから、大学に合格したことは決してゴールだと思ってはいけない。
「ドラクエ」で言えば、最初のボスキャラを倒したくらいの、ほんの些細な出来事だと思ったほうがいい。
社会人になると、日々想像もしなかったような「ボスキャラ」が次々に現れ、常にそれを倒さなければならない。
「リセット」することも、「復活の呪文」を唱えることも、「パルプンテの呪文」でどんでん返しを狙うことも出来ない。はるかに厳しい、エンドレスのロールプレイング・ゲームが待ち構えているのだ。
 
4年もあれば、語学の一つも喋れるようになる。資格の一つも取れるようになる。ある分野の専門家になることもできる。アルバイトを通じてビジネスの基本を学ぶことも出来る。生活の足しのためだけにアルバイトをして、安穏と過ごしてしまうと何も身にはつかないだろう。そういう意味で、この大学生活の4年間は、今までなかった「千載一遇のチャンス」なのだ。
逆に、本当に自分が興味のある分野を、「たったの4年間」で決めなければいけないのだから、これまでの18年と比較しても、途方もなく短い間に「一生」のスタートを決めなければならない。二律背反するが、この大学生活の4年間は今までで最も短い「絶体絶命のピンチ」でもある。

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ホリプロの社長いわく。4年で決められるものなのかな、興味分野は移り変わるものだし。人によるけど。